学校で学ぶということについて。

私は、短大、専門学校、通信制の大学と勉強してきましたが、結局は自分自身で勉強することを続けることが好きなのだと最近気がつきました。学校で教えてもらうことが勉強なのだと思っていたのですが、勉強というものは普段から自分で気に留めて行うことが一番勉強になるんだということが、今になってわかりました。何のために自分が勉強しているのかという理由についてです。


「社会調査工房オンライン」を見ていて、この先生いいなぁ、好きだなぁと思ったのは、「7表現の方法」のところを読んでいて感じていたのですが、「6資料を探索することとは」の中にも人柄が出ているところがあったので、載せておきます。


【社会調査工房オンライン「6-1-1 百科事典を使おう」より抜粋】
 諸君は大学生である。大学も学校であるから先生がいる。当たり前だ。一般に学校での勉強は先生に導かれてやることになっている。分からないことがあれば、先生に聞けば良いではないかと考えるかもしれない。先の事例で紹介されていたように、人的ネットワークを活かさない手はないと・・・。
 先生というのは、わが社会学科に限らず一般に親切であり、分からないことを質問すれば、適切な答えを教えてくれるだろう。難問にぶつかれば相談にものってくれるものである。それで十分だと、君たちは思うだろうか。そうだとすると、君たちは甘い!
 
 第一に、先生は超人ではない。ぼくが祭りやイベントの専門家だからといって、アカマタ・クロマタの呪文を教えてと言われても困るし、今年のコミケがいつどこであるの?と聞かれても困る。知らないことの方が多いのである。
 人間が人生の中で学ぶべきことの内、先生から学ぶことができるのは、ほんの一握りにすぎない。そもそも、自分の勉強したいことを先生に頼ろうという態度が、根本的に間違いである。人間が一生を通して学ぶことの大部分は独学による。自分一人で、関心のおもむくままにテーマを決め、探求していく。それが人生を自分の力で生きるということなのだ。先生とは、時に変なアドバイスをすることもある。そういうときは反面教師というのだが、それも含めて、先生は、あくまで自己探求の刺激剤としての役割をしているにすぎない。


 百科事典は、まさにそんな君たち独学者の手引きなのである。自分の考えているテーマの参考書を、安易に先生に聞く前に百科事典を見よ!そして、その項目に参考文献が上がっていれば、それを図書館で調べる。その項目の著者の本も、調べたテーマの専門家のはずだから、その著作を図書館で調べる。さらに、調べた本にあげられていた参考文献を、同様にして調べる。このような方法を芋蔓式というのであるが、これでけっこう、自分が調べたいテーマに関する基礎的知識が集まるのである。この方式を会得すれば、君たちはもう社会に出ても、何とか自力で必要な調べごとをやっていける、そして知的に進化していくことができるはずである。・・と思う。